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熱海・大観荘の「寿司処 花吹雪」が閉店 店と歩んだ職人退職で歴史に幕

「寿司処 花吹雪」の菅原茂さんと佐々木孝文さん(右から)

「寿司処 花吹雪」の菅原茂さんと佐々木孝文さん(右から)

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 熱海の老舗温泉旅館「大観荘」(熱海市林ガ丘町)内の「寿司処 花吹雪」が3月14日で閉店する。宿泊客や著名人だけでなく、地元からも愛された名店が惜しまれつつ姿を消す。

花吹雪のカウンターに立つ菅原茂さん

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 1948(昭和23)年に開業した同館は、画家「横山大観ゆかりの宿」として知られる。旅館開業の際に、絵を描きに頻繁に利用していた横山大観に名前を使う快諾を受けて「大観荘」と命名したといわれる。同館から望む相模湾の眺望、庭園、建物、料理を目当てに多くの観光客が訪れる宿泊施設となっている。

 花吹雪は50年ほど前、館内で開業し、宿泊客だけでなく、食事だけの客も受け入れてきたすし店。現在72歳で職人の菅原茂さんは39年前、同店のカウンターに立った。菅原さんは宮城県栗原市の出身。1964(昭和39)年の東京オリンピックの時、15歳で上京し、半年ほど鉄工所で働いた後、飲食の世界に足を踏み入れた。32歳まで銀座のすし店に勤めていたが、「そのころ、熱海市内のすし店に応援に行っていたことがあり、そこによく大観荘の人が食べに来ていた。銀座の店に戻って働いていたところ、急に彼らが店を尋ねて来て『熱海に来てほしい』と声が掛かった」と当時を振り返る。「最初は行く気は無かったが、とりあえず3年の約束で」と、花吹雪を任されることになったという。「入った頃の店は暇で、言われて茶そばなども提供していたが、徐々に忙しくなっていった」と話す。バブル期だったこともあり、市内は観光客であふれ、宿泊施設もにぎわいを見せていた。「忙しくなって毎日が楽しかった。ちょうど30代後半から40代の時で、体も気持ちも元気。そのころは深夜2時がオーダーストップ。一番遅い時で、朝7時までお客さまがいたこともあった。それでも楽しくやってこられて、いつの間にか39年もいた」と笑顔で話す。

 このタイミングで退くことについて、菅原さんは「2020年の東京オリンピックを区切りとして考えていた」と言う。「上京して食の世界に入ったのもオリンピックの年。退くのもちょうど良いタイミングだと思った」とも。しかし、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けて開催は延期。「昨年4月の緊急事態宣言で一時店も休業した。再開するために店に立った時に、体に痛みがあり、衰えを感じた。その時、来年までは難しいと思った。体は延長が利かなかった」と菅原さん。

 「熱海や相模湾近辺で獲れる天然魚を使うことにこだわってきた」という菅原さん。それは、わざわざ東京などから来る客に新鮮な地のものを食べてもらい、熱海の良さを伝えたいという思いから。「これまで来ていただいたお客さまには感謝しかない。楽しく働くことができた。いろいろな業種の方とカウンター越しに会話し、自分の知らない世界の話をたくさん聞くことができた。自分も楽しく仕事しないと、お客さまも食事を楽しむことができない。今まで頑張ってやって来て間違いは無かった」と菅原さん。残り数日の営業は、既にこれまでの常連客の予約で満席だという。

 今後について、「これからも釣りは続けていきたい。ずっと遊んでいたいとは思えず、短時間でもすしを握る仕事があれば。楽しくできる仕事なら」と笑顔で話す。二番手の職人・佐々木孝文さんも同時に退職。佐々木さんは市内ですし店を開業する。菅原さんは「佐々木のことも応援してやってほしい」と来店を呼び掛ける。

 家で父の仕事を見守ってきた次女の柏木香さんは「長い間、家族のために働いてきてくれて本当に感謝している。小学生のころ、自宅に友達が泊まりに来た時、父が手巻きずしを用意してくれた。友達がすごくおいしいと喜んでくれてうれしかったのが今でも心に残っている。これからは自分のために楽しい時間を過ごしてもらえれば。健康に気を付けて元気に過ごしてほしい」と感謝の気持ちを言葉にする。

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