特集「熱海・スナックと私」では、市内の経営者にお薦めのスナックを紹介してもらいながら、これまでの人生やこれからの経営ビジョンなどを伺います。聞き手は、熱海経済新聞副編集長でボイストレーナー「たーなー先生」としても活動する田中直人です。
今回は番外編として、齊藤栄熱海市長にインタビューしました。2006(平成18)年に熱海市長に就任以降、熱海市政を5期にわたり率いてきました。2回に分けて、齊藤市長の生い立ちからキャリア、人生観など、インタビューの内容をお伝えします。
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――このコーナーはスナックを回りながら生い立ちから現在、未来について話を聞くのですが、今回は市長室でのインタビューです。まずは生い立ちから聞かせてください。
市長 生まれ育ちは東京都品川区の戸越です。品川というと都会のイメージがありますが、とても下町的な場所で育ちました。1963(昭和38)年生まれで、この3月で63歳になります。
父親は新潟出身で、20歳の頃に東京に出てきてうなぎ屋の板前になりました。生涯、うなぎ職人でした。子どもの頃、友達の家に遊びに行くとサラリーマンの家庭は朝日新聞や読売新聞が置いてあるのに、うちはスポーツ新聞。父の趣味はプロレス観戦や競馬だったのでスポーツ新聞を読んでいたのでしょう。政治などには全く興味がない、仕事一筋の真面目な、うなぎ職人でした。
晩年は両親ともに熱海に呼び寄せて、一緒に暮らしました。最後の数年は本当に幸せだと言っていたので、親孝行できたと思っています。
うなぎ職人だった齊藤市長の父
――市長の小学生時代はどのような子どもでしたか。
市長 両親は放任主義だったので、人生で一度も「勉強しなさい」「何かしなさい」と言われたことはなかったです。自由にさせてもらい、高校や大学進学についても相談することはありませんでした。独立心・冒険心の強い子どもだったと思います。
それもあって、成人してからも当時のチェコスロバキアやアメリカなど海外も一人で行っていました。熱海に来た時もそうですが、新しい土地へすぐになじめる性格です。
チェコスロバキア滞在中のルームメイトと大学3年当時の齊藤市長
小学生の頃は漫画を描くことが好きで、将来は漫画家になりたいと思っていました。図画工作も得意で、自分の絵が校長室に飾られていたことを覚えています。
小学5年当時の齊藤市長、習字の発表会にて
――進学した東京工業大学では土木工学を学ばれたようですが、なぜでしょうか。
市長 英語が好きだったので、外交官か商社マンになりたいと思っていましたが、高校の担任の先生が「お前は土木だ」と言ったのがきっかけです。適性検査では理系・土木建築が合うという結果になり、この先生は人を見る目があると思い、土木工学を選択しました。
専門性を身につけて世の中に貢献したいという思いはありました。研究職というよりは、社会との接点があるエンジニアリングに興味がありました。その頃は政治家になりたいとは一秒も思ったことはありませんでした。
――市長になりたいと思ったきっかけは何でしょうか。
市長 大学院で国土計画の授業がありました。研究室の中に閉じこもった仕事は、自分は違うという思いがあった中で出合った国土計画の仕事に強いロマンを感じました。個々の橋やダムではなく、日本全体を良くする「国をデザインする」仕事に携わりたいと考え、当時の国土庁への就職を志望しました。東京工業大学の土木工学科から国土庁(当時)に入った前例はなく、出世にも有利ではないと言われましたが、自分のやりたい道を優先して入庁しました。
国土庁から派遣されていた米・デューク大学卒業式で両親と
ただ、実際に働き始めると自己矛盾に陥りました。国土計画は広い視点に立つ一方で、「国が頭脳で地方は手足」といった発想が強く、住民の声が十分に反映されない中央集権的な仕組みに強い違和感を覚えました。理想の職場と思っていましたが、再び「何か違う」という思いにとらわれ、悶々(もんもん)とした日々を過ごすことになりました。
そんな中で転機となったのが、当時、熊本県知事だった細川護熙さんと島根県出雲市長だった岩國哲人さんによる共著「鄙(ひな)の論理」との出合いでした。本は、地方が自立しなければ日本は良くならないと訴える内容で、その考え方に強い衝撃を受けました。中央ではなく地域こそが主役になるという視点を初めて知り、いつか市長になりたいと思うようになりました。
そこからずっと市長になるにはどうしたらいいか考え、15年間頑張り続けて2006(平成18)年に熱海市長になることができました。
当時を振り返る齊藤市長
――その後について教えてください。
市長 国土庁は11年働いて退職しました。市長になるためには、これからは教育や福祉が重要になるだろうと思い、全国で福祉の分野などの専門学校を展開している学校法人グループに就職しました。就職前には、アメリカにリタイアメントコミュニティービジネスの視察にも行きました。
3年ほどその学校法人グループで働き、転職しようとある会社の最終面接に臨んだ時に、その社長から「充実した人生か、悔いない人生か決めなさい」と言われました。自分が政治家になりたいと言ったわけではないのに、迷っていることが分かったかのように。その翌日には、とある国会議員の事務所に電話し、ポスター貼りのバイトとして手伝わせてもらうことになりました。それが40歳の時です。
そのようなバイトをしているうちに、衆議院選挙が始まり、偶然にも岩國哲人さんの選挙事務所で人が足りないから応援に行ってほしいと声がかかりました。私からすれば岩國さんは、市長を目指すきっかけになった神みたいな人。そして国会議員に当選した岩國さんから「自分の政策秘書をやってほしい」と連絡があり、政策秘書になることができました。
――熱海との接点はその頃でしょうか。
市長 国会議員の秘書の仕事をしている中で、熱海市長候補を探していると聞きました。国土庁で働いていた頃に何度か熱海に仕事で来たことはありましたが、詳しくは知りませんでした。そこから熱海についての情報を調べるようになりました。
――ここまでありがとうございました。この後、市長就任からプライベート、熱海の未来について伺います。
聞き手 田中直人