熱海が現在、特に力を入れているのが「ワーケーション」です。聞き慣れた言葉になってきましたが、ワーケーションとは、ワーク(仕事)とバケーション(休暇)を組み合わせた造語。コロナ禍を挟んでも、この数年は順調に発展を続ける観光地としての熱海が、なぜ今、ワーケーションに力を入れているのでしょうか? 数回に分けて、熱海でのワーケーションの動きやワーケーション施設を紹介していきます。
これまでに、熱海の特徴的なワーケーション施設として、アート作品に触れられる「キュレーションホテル桃山雅苑(ももやまがえん)」、充実した設備を備えるリゾートホテル「熱海パールスターホテル」などをリポートしました。今回は、ベンチャー・スタートアップ企業が頻繁に利用しているという宿泊施設「熱海の隠れ里」の取り組みを紹介します。
これまでの記事
「熱海の隠れ里」は、熱海駅から熱海サンビーチ方面に階段や坂を下って徒歩5分ほどの所にあります。「隠れ里」の名の通り、メインストリートからは離れ、周囲をリゾートマンションや旅館に囲まれた静かな場所にたたずんでいます。
ビーチへの抜け道になっているのか、同館の前を楽しそうに歩いていく観光客の姿も見られます。一方で、ビーチから駅へと向かう人たちは、熱海特有の急坂がこたえたようで、同館の店主が設置したベンチに腰をかけて汗を拭っていました。
静かにたたずむ「熱海の隠れ里」
同館の場所にはかつて、「さざん亭」という人気の温泉旅館がありました。閉業後に建て替えられ、「隠れ里」になる前は企業の保養施設として使われていたそうです。そのため館内は広く悠々とした造りになっており、2・3階にある8つの客室は空間を持て余すほどの広さが特長。海側に立つ建物の間からは相模灘や初島が望めます。天然温泉を引いた大浴場、かつて宴会で使われていた大広間も備えています。
天然温泉「福福の湯」を引いた大浴場も
同館は高市豊仁さんが夫婦で切り盛りしています。高市さんは、国内の和食店や特色ある旅館で料理人として腕を振るってきた経験を持ちます。中国で百貨店の経営アドバイザーとして活動する父・豊茂さんの影響もあり、中国・内蒙古師範大学で中国文化を学びました。中国での縁が、妻・テイテイさんや旅館経営者との出会いにも結びついたそうです。
同館の運営を始めた当初は、これまでの経験を生かし、朝夕食付きの一般的な旅館として客をもてなしてきました。当時を振り返り、高市さんは「どうしたらお客さまに満足してもらえるか、毎日が試行錯誤でした。宿泊料金も今よりも安く設定していました。しかし夫婦で切り盛りするには大変でした」と話します。
転機になったのはコロナ禍でした。宿泊形態の変化を感じた高市さんは、食事付きの宿泊プランを全てやめ、原則素泊まりのみに切り替えました。「コロナ禍の当初は、地元の干物店から仕入れた干物、市場から仕入れた野菜を使ったサラダなどを朝食に提供していました。その取り組みの中で、地元の事業者とのつながりが徐々に増えていきました。そこで、夕食は鮮魚店の刺し身やすしを、朝食は仕出屋の弁当などを、それぞれ要望を聞いて宿泊客に紹介するようになりました。当館の周辺には、おいしい店もたくさんあるので、お薦めの店を紹介して、外での食事も楽しんでもらうようにしました」と高市さん。
いわゆる「泊食分離」を進めることで、施設側の負担も軽減。地域の食事を楽しむ宿泊客の満足度も上がっていったそうです。
「隠れ里」を運営する高市さん夫婦
さらに、コロナ禍が明けた2年ほど前から法人利用が増えてきました。ここ最近は、毎月のように20~30人ほどの団体が会社の経営合宿、大学のゼミ発表会などで利用しているといいます。「都内のベンチャー企業、スタートアップの経営者や担当者が気に入ってリピートしてくれています。そこから口コミで広がっているようです」と高市さん。
リピートや紹介で団体利用が増えているのには理由があるといいます。「要望に応じて設備をグレードアップしてきました。大広間は、大型スクリーンや高画質プロジェクター、音響、オンライン配信設備などを導入した『多目的スペース』にリニューアルしました。大人数で貸し切ってミーティングや研修、発表会を行うことが可能です。多目的スペースに併設してレンタルキッチンも新設しました。参加者が一緒に料理をすることで、コミュニケーションの促進やチームビルディングにもつながります。客室にも、テレビの代わりにプロジェクターとスクリーンを整備しました。部屋ではグループでじっくりと打ち合わせができると好評です」と話します。
プロジェクターなどの設備を備えた多目的スペース
客室にもプロジェクターとスクリーンを設置
今回、同館を利用していたのは、都内を中心に動画メディアの運営やSNSマーケティングを手がける「ハチコディストリクト」のメンバーら。館内でのミーティングや周辺でのアクティビティーを楽しむ1泊2日のワーケーションで利用していました。
多目的スペースを活用してミーティング
館内の多目的スペースで大画面のスクリーンに作品を投影しながらミーティングしたほか、気分転換に駅前の商店街で食べ歩きや指輪作り体験などをして熱海でのワーケーションを楽しんでいました。
地元グルメの動画撮影も
商店街の「熱海ゆびわ工房」で指輪作り体験を行う
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夕食は、地元の鮮魚卸「宇田水産」が提供する刺し身の舟盛り、すし、キンメダイの煮付けを味わい、翌日の朝食は、創業70年を超える弁当店「祇園」のいなりずしを食べて、熱海・伊豆の食も堪能しました。
「宇田水産」の料理を撮影する参加者
今後について、高市さんは「当館の特徴は、合宿をリピートしてくれるお客さまが、自分たちが使いやすいように提案をしてくれることで進化しているという点です。私が想定していない使い方をお客さまが生み出してくれるので、こちらも求められていることに柔軟に対応するようにしています。その環境を整えるのが私の役割です。これから先、お客さまがどのように当館を活用してくれるのか楽しみです」と話します。
さらに現在、1階の未利用のスペースを改装して、カフェバーの開業を進めています。「客室と多目的スペースの中継拠点」と高市さんが位置付けるカフェバーには、1人でテレワークできるカウンター席、少人数でミーティングできるテーブル席や小上がり席を備える予定だといいます。プロジェクターも設置し、イベント開催にも対応できるようにするそうです。高市さんは「お茶やお酒を飲みながらリラックスできる空間になれば」と期待を込めます。
年内には開設を予定するカフェバーのイメージ
高市さんは「SUPやバーベキューなど、当館周辺にはさまざまなアクティビティーがあります。そのような事業者との連携を強化して、当館の宿泊客にチームビルディングなどにつながるワーケーションの機会を提供していければ、ますます熱海の価値は高まっていくでしょう」と力を込めます。
「熱海の隠れ里」
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