特集「熱海・スナックと私」では、市内の経営者にお薦めのスナックを紹介してもらいながら、これまでの人生やこれからの経営ビジョンなどを伺います。聞き手は、熱海経済新聞副編集長でボイストレーナー「たーなー先生」としても活動する田中直人です。
前回は、江戸時代から160年以上続く老舗干物店「釜鶴」5代目の二見一輝瑠(ひかる)さんにインタビューをしました。今回は、1806年創業の老舗温泉宿「古屋旅館」17代目の内田宗一郎さんに話を伺いました。1973(昭和48)年生まれで、現在51歳。熱海温泉ホテル旅館協同組合理事、熱海商工会議所青年部顧問、熱海市観光協会副会長などを務める内田さん。旅館のほか、現在では市内でスイーツ店も経営しています。3回に分けて、内田さんのこれまでの取り組みや思いについてお伝えします。
これまでの記事
【熱海・スナックと私 vol.1】 「釜鶴」社長・二見一輝瑠さん(前編:スナック「キュウティー」)
【熱海・スナックと私 vol.2】 「釜鶴」社長・二見一輝瑠さん(中編:スナック「和み場ar侑」)
【熱海・スナックと私 vol.3】 「釜鶴」社長・二見一輝瑠さん(後編:スナック「亜」)
――スナックではなくてバー業態ですが、1軒目に選んだ「Bar Negroni(ネグローニ)」について、魅力などを教えてください。
内田 2008(平成20)年のネグローニがオープンした当初から利用しています。当時、私がまだ34歳の頃で、その年齢としては、ネグローニは大人の雰囲気だったので、最初は地元の先輩に連れてきてもらいました。徐々に1人でも利用するようになり、現在では親しくさせてもらっています。
ウイスキーのほか、フルーツ系のカクテルがとてもおいしく、地産地消にこだわって地元の食材を積極的に取り入れています。店主の吉田さんには、旅館の食前酒のアレンジやスイーツ店のドリンクの監修など、仕事でも世話になっています。
内田さんが行きつけのネグローニ
――古屋旅館の創業や遷移について教えてください。
内田 創業は1806年で、来年、220周年を迎えます。1979(昭和54)年、父が建物を建て替えて現在の旅館の基礎を作り上げました。バブルに向けて熱海の景気が良くなっていった時代です。団体客もいましたが、高級志向の旅館だったので個人のお客さまが多かったです。
その後はバブルが崩壊し、景気の浮き沈みを感じながら早稲田大学に進学しました。
1806年創業の「古屋旅館」
――就職した頃の話を教えてください。
内田 就職氷河期の真っただ中でした。三和銀行に入社して札幌支店に配属されました。その年に日本で初めて都市銀行の北海道拓殖銀行が倒産しました。当時としてはとても衝撃的な出来事でした。
――親から進路や就職について言われていたことはありませんか。
内田 子どもの頃も親から勉強しなさいと言われたこともないですし、高校や大学の進路について言われたことも相談したこともなかったです。高校生の頃には長男として家業を継ぐことは意識していました。自然と家業を継ぐ空気やあうんの呼吸のようなものがあったと思います。サラリーマンになることはないだろうと思っていたので、既に信頼関係が築かれた職場があるのは幸運でした。小さな会社ですが、経験を積んで外の世界を見てから帰って来られる場所があるのは幸せだと感じていました。
銀行員時代について話す内田さん
――銀行での経験について教えてください。
内田 その後、東京で法人営業を経験したいと思っていたので試験を受けたら受かってデリバティブを学ぶことができました。日本橋の堀留支店に配属されて新規外交、いわゆる飛び込み営業を経験しました。MITや東大、京大出身の非常に優秀な同僚にもまれながら、自分の限界や成長を実感することもできました。銀行には5年ほど勤務しました。
――銀行で学んだことはありますか。
内田 1つ目は、「スピードは質に勝る」ということです。早い企業は例えば、ゴルフコンペの参加可否の返信ですら早い。経営が苦しい企業ほど返信や対応が遅い。50%の完成度でも良いから進めること。最近よく自社の朝礼でもスタッフに伝えていることです。
2つ目は札幌時代の課長に学んだ教訓ですが、「迷ったら面倒な方を選べ」ということです。面倒な選択肢を選ぶことで、結果的に正解になることが多い。それを繰り返していると、楽な方を選ばなかった自分に自信が生まれるし、良いことしかないです。
――熱海に戻ってきた頃の話を聞かせてください。
内田 2003(平成15)年に戻ってきて古屋旅館に入り、会社の仕事と地域の仕事を両輪で進めてきました。団体の役職など肩書への承認欲求は全くないのですが、小さな街なのでさまざまな団体の役職の依頼を受けてきました。旅館組合やJCなどにも参加して自分を磨かせてもらいました。大学を出て都市銀行に勤めていたという経歴は旅館業界では珍しいので、財務など経営に関する相談を受けることも多々ありました。その縁でつながっている人も多く、銀行を選んで頑張ってきて良かったと思います。
2003年ごろの熱海は厳しい時期でした。当館は黒字を続けていましたが、市内は団体客も減って観光客の姿も少なく、テレビでは熱海の状況を「最悪」と報道されていました。復活の兆しになったのが、2013年の大規模金融緩和、民間のまちづくりの動き、行政のマーケティング施策などが複合的に作用したことだと思っています。行政の取り組み「ADさん、いらっしゃい!」が始まったのもこの時期です。この間の10年は、仕事や地域、団体の取り組みを通して、旅館の経営者としての自分を磨いていた準備期間だったように思います。
厳しくて癖のある人ですが、当時社長だった父のことは尊敬しています。特に、取引業者を大切にするという考え方を教えられました。旅館の業界は、父と息子とが仲が悪いケースも多いようですが、うちにおいてはそういうことは一切ありませんでした。父が社長でいる間は父を立てて、設備投資などについてこちらから口を出すこともあえてしないようにしていました。
ウイスキーやリキュールが並ぶネグローニ
――2013年以降の話を聞かせてください。
内田 42歳で社長に就く予定だったので、経営セミナーに参加するなどして情報収集を始めていました。全国旅館組合青年部の活動も熱心に行い、全国に仲間や知り合いが増えました。視野が全国に広がったので、全国に素晴らしい旅館があるということ再認識しました。次のステップに進む下地づくりの時期でした。
――ここまでありがとうございました。では続きは次の店で伺いましょう。次回、中編では内田さんが社長に就任してからの話を伺います。
内田さんお薦めの「Bar Negroni」について
開業 2008(平成20)年5月
店主 吉田務さん
席数 16席
営業時間 18時~翌1時
定休日 日曜
住所 熱海市中央町16-8
電話 0557-81-1778
路地裏に佇む隠れ家的なオーセンティックバー。多様なシングルモルトウイスキーや素材にこだわったカクテルを提供しています。落ち着いた雰囲気の中で静かな夜を楽しむことができます。
路地裏に佇むネグローニ
「古屋旅館」過去の記事
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聞き手 田中直人