特集「熱海・スナックと私」では、市内の経営者にお薦めのスナックを紹介してもらいながら、これまでの人生やこれからの経営ビジョンなどを伺います。聞き手は、熱海経済新聞副編集長でボイストレーナー「たーなー先生」としても活動する田中直人です。
今回は番外編として、齊藤栄熱海市長にインタビューしました。2006(平成18)年に熱海市長に就任以降、熱海市政を5期にわたり率いてきました。2回に分けて、齊藤市長の生い立ちからキャリア、人生観など、インタビューの内容をお伝えします。後編では、市長就任から熱海の未来についての話をお届けします。
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――2006(平成18)年の最初の市長選挙について教えてください。
市長 選挙の前年に熱海に移り住みました。そして選挙4カ月前に伊豆山神社で結婚式を挙げました。妻が子どもの頃に伊豆山によく来ていたのがご縁です。新婚旅行は初島でした。
選挙には私を含めて4人が出馬しました。結果的には、次点の候補者とわずか62票差で当選することができました。当時、観光客が過去最も少なく、宿泊客が昭和40年の530万人から290万人程度にまで減少し、熱海は寂れた温泉地の代名詞のように言われていました。市民は現状を変えてほしいと思っていたのでしょう。
国土庁を辞めてから当選するまでの約7年間は、国会議員秘書などを務めながらも将来が見えず、明日どうなるかも分からない日々が続き、暗いトンネルの中にいるような感覚でした。ようやく市長に当選し、舞台に立てたという思いがありました。
2006年に初当選した齊藤栄熱海市長
――就任してからはいかがでしょう。
市長 本当の大変さは就任後に待っていました。初日の重要案件は、築60年で耐震性にも問題がある市庁舎の建て替えに向けた設計会社選定のコンペでした。事業費は45~50億円規模。一方で市の財政は約41億円の不良債務、巨額の財政赤字を抱えており、そのまま進めることは現実的ではないと判断しました。そこで計画やコンペをいったん全て白紙に戻し、ゼロから立て直す決断をするところから市政運営が始まりました。
この20年の仕事の中で一番うれしかった瞬間を問われると、新しい市庁舎が完成した時と答えています。就任から完成までに約7年半を要し、私にとってとてもつらい期間でした。旧庁舎は耐震性に不安があり、もし大地震が起きて職員や来庁者に被害が出たらどう責任を取るのかと、議会やメディアから繰り返し厳しく問われ続けました。しかし財政的な制約がある中で、すぐに解決できる状況ではなく、耐えながら前に進むしかありませんでした。だからこそ完成の日を迎えた時、初めて本当に安心でき、「枕を高くして寝られる」と心から思えました。ですので、その時の写真を今でも市長室に飾っています。
熱海市新庁舎竣工の記念写真
2006(平成18)年9月に市長に就任して初めて41億円の不良債務があることを知り、12月に「財政危機宣言」を発出しました。財政を立て直すためには、事業の削減や料金の値上げなども避けられませんでした。もしそれをしなければ、熱海市が財政破綻し、地域の自治そのものが成り立たなくなるという強い危機感がありました。もともと市長を志したのは、国に依存しない自立した自治体をつくるためであり、国の管理下に置かれる事態だけは何としても避けたかった。その思いから、国内で最も厳しいレベルの行財政改革に踏み込みました。不良債務を全て返済する2016(平成28)年まで、10年かかりました。
――ここで話は変わりますが、市長の最近のリフレッシュ方法を教えてください。
市長 40~50代は「趣味は熱海」と言っていたくらい、仕事ばかりでリフレッシュを考えたこともありませんでしたが、60歳くらいから考えるようになりました。週1回マリンスパに通い、朝は必ず15分のストレッチをして、昼休みにもストレッチをしています。
――人生観で大切にしていることはありますか?
市長 繰り返しになりますが、大切にしている価値観は、「充実した人生よりも悔いない人生」を生きること。やりたい、あるいはやる意義があると思ったことは、後になって「やっておけばよかった」と思わないよう生きているつもりです。大学時代に周囲から反対された進路についても、出世が目的ではなく、自分がやりたいかどうかが基準でした。この信条は今も変わらず、新成人に向けた場などでも繰り返し伝えています。人生は一度きり、「LIFE IS ONCE」と、いつも言っています。
大学時代に訪れたチェコを11年後にアメリカ留学中に再訪し、民主化後のあまりの変わりように衝撃を受けました。かつては共産国で、スーパーでは長い列ができ、競争もなく、どれだけ働いても給料は同じという状況を見て、この国は発展しないなと感じていました。それがわずか十数年で大きく変わる姿を目の当たりにし、「世の中はここまで変わるのか」と実感しました。つまり、今ある国の形が永遠に続くわけではなく、変えようと思えば社会は動かせるという思いを強くしました。
熱海市では「ADさんいらっしゃい」などの観光プロモーションを実行しましたが、実際にお客さまが来るまで10年はかかりました。だから新成人にはいつも、「10年頑張れば夢は実現できる」と伝えています。熱海出身のプロゴルファー、渡邉彩香さんも新成人に伝えていましたが、苦労は人を成長させるということ。人はうまくいっている時よりも、苦しみやスランプの中にいる時の方が伸びると思います。
市長室に飾られた木村拓哉さん直筆の色紙
――市長が描く熱海の未来像を教えてください。
市長 熱海の未来像については、4期目の公約として掲げた「熱海2030ビジョン」で明確に示しています。人口が減少していくこと自体は避けられない現実ですが、人口が減る=衰退という発想ではなく、人口減少社会の中でも経済が発展し、市民の豊かな暮らしを維持できる仕組みをつくることを目標にしています。つまり、温泉観光地としての新しいモデルを熱海から生み出したいと思っています。
その実現に向けた一丁目一番地が宿泊税です。人口が減れば税収も減り、福祉や教育に回す財源が細ってしまう。そこで、観光で訪れる人から得た財源を観光の魅力向上に還元し、さらに多くの来訪者を呼び込む循環をつくる。そうすれば市民の税負担を増やさずに、福祉や教育へ資源を振り向けることができます。その挑戦を熱海から始めようとしています。
もう一つは、100年後を見据えた視点です。従来の「温泉観光地」という言い方を、「温泉リゾート」という発想へ進化させたい。その意味するところは、観光業そのものを人々が憧れる産業にしていきたいということです。人手不足を外国人や高齢者、隙間時間の労働力に頼っていてはいけません。きちんとした給料が支払われ、休みも取れ、家族を養い将来設計が描ける産業でなければ人は集まりません。そのためには客単価を上げ、賃金を上げる必要があります。そして、その環境づくりのために行政が観光へ投資することが欠かせません。この財源の大きな柱となるのが宿泊税で、現在の税額にとどまらず、将来的には引き上げも視野に入れています。
こうした思いをさらに強くしたのが、昨年、ハワイを訪れた経験です。高額な宿泊税が設定され、従業員の時給も高いが、それによってサービスの質が保たれている。加えて、例えばダイヤモンドヘッドのような観光地では、事前予約を徹底することで混雑、つまりオーバーツーリズムも抑えられている。質を維持するための仕組みが、料金設定や制度と一体で成り立っていることを実感しました。
熱海が目指す将来像の一つのモデルはハワイです。100年後では長すぎで、数十年、例えば30年でそこへ近づいていく。それが熱海の将来目標だと考えています。
熱海の未来について話す齊藤栄熱海市長
――これから個人的に挑戦したいことはありますか?
市長 将来については、まだはっきりしたことは言えません。本当に分からないのであって、隠しているわけでもありません。バリバリ働ける期間はそう長くはないだろうと感じつつも、次に何へ挑戦するのかについては具体的には分かりません。
ただ、この20年にわたり取り組んできた財政再建、観光振興、福祉、災害対応などの経験は、ほかの地域でも役立つはず。どういう形になるかは見えていませんが、これまで培ったものをどこかで生かしていきたいという気持ちは持ち続けています。
一方、大学教員のような立場よりも現場で動くことが性に合っていると思います。そのイメージとして思い浮かべるのが二宮尊徳。勤勉の象徴として知られますが、実際には多くの藩や村の財政や地域づくりを立て直してきた人物でもあります。自分に同じことができるかは分かりませんが、将来、これまでの経験が社会のどこかで役に立つような仕事ができればと思っています。
――ここまで、ありがとうございました。
熱海の子どもたちから贈られた絵を飾る市長室
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