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熱海の老舗和菓子店「間瀬」が150周年 銘菓「伊豆乃踊子」と共に

間瀬「網代本店」で間瀬眞行社長とスタッフら

間瀬「網代本店」で間瀬眞行社長とスタッフら

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 銘菓「伊豆乃踊子」などで知られる熱海の老舗和菓子店「菓子舗 間瀬」(熱海市網代)がこのほど、150周年を迎えた。

書家・町春草の書をあしらった銘菓「伊豆乃踊子」

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 1872(明治5)年、現在の本店近くで菓子の製造販売を始めた同店。1950(昭和25)年頃から積極的に和菓子開発を進め、1954(昭和29)年に法人化した。直売店は、本店のほか網代駅前店(下多賀)、熱海咲見町店(咲見町)、熱海ラスカ店(田原本町)の4店舗を構える。全国の百貨店や熱海市内のホテル売店、直営オンラインショップでも販売。

 現在72歳で同社5代目の間瀬眞行社長は1994(平成6)年、4代目の父・悦基さんから会社を継いだ。創業当時は、栗煎餅やあめなどを販売していたという同店は、昭和前半頃から和菓子やパン、洋菓子など幅広い商品の製造販売を手がけるようになっていったという。間瀬さんは「東京から職人を連れてきて洋菓子を開発したり、学校給食のパンを製造したりと、積極的に商品を広げていた」と話す。

 その時期に誕生した和菓子が、現在では伊豆を代表とする銘菓の一つに数えられる「伊豆乃踊子」だったという。当時、熱海駅前の第一ビル内への出店を記念する商品として企画が進められた和菓子で、川端康成の小説「伊豆の踊子」から名を取った。ちょうど小説が映画化されたタイミングとも重なり、1966(昭和41)年に販売を始めた「伊豆乃踊子」はヒット商品となった。「川端さんからも直接、ネーミングの許可を得た。1968(昭和43)年には川端さんがノーベル文学賞を受賞したことも、当社にとっては追い風になった」と間瀬さん。手作りで始めた「伊豆乃踊子」は生産が追いつかず、一部機械を導入して生産を強化したものの、それでもその日に作った商品がその日のうちに空っぽになる状況だったという。本店近くに「伊豆乃踊子」の専用工場も開設。間瀬さんは「夜中まで交替で生産していた。作る商品の9割は『伊豆乃踊子』だった時期もある」と振り返る。

 1980(昭和55)年、網代駅前店を建て替えてリニューアルするタイミングで、「和菓子専門店」として舵を切る決断をしたという。間瀬さんは「父と相談し、洋菓子やパンの製造をやめて和菓子に特化することに決めた。父は日本画家を目指したほど日本の芸術文化が好きだった。伝統的な和菓子をおろそかにせず、しっかりしたものを作り続けたいという思いが強かった」と話す。1983(昭和58)年には、歴史のある菓子店に入会資格があるという「全国銘産菓子工業協同組合」にも加入した。

 間瀬さんは「菓子のおいしさは原料で決まる」と力を込める。「あんは北海道の小豆、塩は大島や沖縄の天然塩を使う。それぞれの土地の良いものを選んで使っている」という。「熱海は柿田川や丹那の良質な水に恵まれているが、さらにおいしい水を和菓子に使いたいと考え、専用の水製造機を作った。おいしい水は原料を引き立てる」とも。

 来年1月から順次、150周年記念商品4~5点の販売を予定するほか、出来たて商品を販売するなどのイベントも計画しているという。間瀬さんは「創業から150年、多くの人に支えられてきた。地域に恩返しをしながら、これから先も長く商売していきたい。時代ごとのニーズの変化に対応して、柔軟に菓子作りをしていく。和菓子は企業の文化を表現したもの。地域が誇れる文化であり続けたい」と話す。

 本店の営業時間は8時~17時。木曜定休。

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