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熱海・土石流被災の「コマツ屋製麺所」が再開 工場移転し「家族で前に」

工場を再開した「コマツ屋製麺所」の中島さん

工場を再開した「コマツ屋製麺所」の中島さん

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 昨年7月3日に発生した熱海・伊豆山土石流災害で被災した「コマツ屋製麺所」が7月16日、熱海市上多賀に移転して工場を再開した。

コマツ屋製麺旧工場で撮影された土石流の様子(関連画像7枚)

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 1887(明治20)年に伊豆山で動力に水車を使う精米・製粉店として創業した同社。現在は、業務用に特化してラーメン店などに製品を卸している。伊豆山の土石流災害により、自宅兼工場が大量の土砂の直撃を受けて被災。長年、多くの客に愛されてきた麺を製造する機械も泥をかぶった。工場があったエリアは立ち入り禁止の警戒区域に指定されているため、戻ることが許されていない。

 中島秀人社長は「伊豆山の地で製造を再開することが目標だったが、警戒区域解除がいつどうなるかわからない。伊豆山周辺で工場用地も探したが、用途地域の問題で駄目だった」と話す。当初は、元の場所で再開しようと長女・真唯さんと次女・茉子さんが中心となって、工場再建のためのクラウドファンディングを立ち上げた。自家発電機の購入や機械・建物の修繕費などのために、全国から800人以上の支援で900万円を超える資金を集めた。

 新工場を建てたのは、周りを木々に囲まれた傾斜地で、敷地は約100坪。工場の面積は旧工場と比べて3分の1程度に縮小した。そのため、製造ラインを減らしたり、ゆで麺や学校給食への卸しをやめたりし、「売り上げは減ってしまった」と中島さん。一方で落ちた売り上げを補おうと、茉子さんの発案で小売用のラーメンセットを新たに商品化し、今後、個人客に販売していく予定という。

 ウェブ関連の会社に勤めていた茉子さんは、実家が被災して以降、家業の再建を手伝ってきたが、家族と一緒に前に進みたいと退職。現在は、中島さんが20代の頃に働いていた都内の製麺所で修業しながら、休日は熱海に戻って父と一緒に麺の製造にいそしむ。

 この1年を振り返り、中島さんは「ものすごく辛くて長い1年だった。家族も毎日涙を流していたが、ようやく再スタートを切ることができた。クラウドファンディングで多くの応援のコメントをもらい、それが励みになった。自分たちが作ってきた麺にも価値があるんだと、前を向いて進んでいこうという気持ちになれた」と話す。

 新工場で製造する麺は、市内のラーメン店「わんたんや」「石川屋」「雨風本舗」「浜よし」など、以前から卸していた店に順次納品され、再びファンの舌をうならせている。

 伊豆山への思いは変わらないという中島さんは「伊豆山には何らかの形で戻りたい。旧工場の場所は、復興に向けた地域の拠点になるような場所にしていければ」と強いまなざしで前を向く。

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