ワーケーションや企業オフサイトの受け入れを進める熱海で、企業の人材育成や新規事業創出につながる研修が行われています。
今回取り上げるのは、熱海で企業研修を手がける「Gensen & Co」が提供する実践型のプログラムです。受講生は、日立製作所を中心とした日立グループの社員で、本研修は日立アカデミーが企画運営する、社会イノベーションリーダー研修(10カ月)の冒頭に組み込まれているものです。熱海の地域事業者や起業家との対話、まち歩き、フィールドワークを通じて、社会課題を捉え、新たな事業の可能性を探ります。
研修のテーマは、机上で事業アイデアを考えるだけでなく、現場に足を運び、当事者の声から一次情報を得て、仮説を検証することです。顧客の課題解決にとどまらず、地域や社会にどのような変化をもたらせるのかまで考えることを目指しています。
観光地として知られる熱海が、企業の人材育成や事業創造のフィールドとしてどのように活用されているのでしょうか。研修の内容とともに、依頼元企業である日立アカデミーへのインタビューを通じて、その狙いや成果、熱海で研修を行う意義を探ります。
これまでの記事
【熱海 for BIZ vol.1】観光地・熱海におけるビジネス利用の現在地
【熱海 for BIZ Vol.2】 熱海のビジネス利用、受け入れプレーヤーの最前線(前編)
【熱海 for BIZ Vol.3】 熱海のビジネス利用、受け入れプレーヤーの最前線(後編)
企業研修を手がける「Gensen & Co」の佐々木さん
今回の研修は、日立グループのマネジメント層を対象とした新事業創生・イノベーションリーダー育成のための研修「社会イノベーションリーダー(SIL-A)研修」の一環として行われました。対象者は20人で、5人ずつ4チームに分かれて取り組みました。
研修の背景には、新規事業の検討において、現場に足を運び、当事者から直接話を聞くことの重要性を理解してもらいたいという狙いがあります。多忙な通常業務の中でも、一次情報を得ることの優先度を高め、自らの仮説を現場で検証する姿勢を身に付けることを目指しています。
事業構想が身近な課題の解決にとどまらず、社会やマーケットに広く波及する可能性を描けるようになることも重要なテーマです。
プログラムでは、各チームが熱海の起業家や地域事業者と連携し、事業構想から実証実験までを経験します。顧客の課題解決だけでなく、地域課題や社会課題の解決につながる事業を考えることで、社会課題を自分事として捉え、事業を通じて社会に働きかける視点を養います。
研修の主なステップは、地域課題解決と事業創造の考え方を学ぶオリエンテーションから始まり、地域パートナーとのマッチング、インタビューや観察による調査、仮説検証、実証実験へと進みます。最後には成果発表と振り返りを行い、一連のプロセスから得た学びを整理します。
最終的に目指す成果物は、詳細な事業計画やビジネスモデルの完成ではありません。「誰のために何をするのか」という顧客課題と提供価値を明確にするとともに、その事業が地域や社会にどのような波及効果をもたらすのかを描くこと、そして、「なぜ自分がその事業を行うのか」を自分の言葉で語れることを重視しています。
熱海の地域プレイヤーにヒアリングする参加者
今回、日立アカデミーで人材育成部門を担当する高橋宜孝さんに話を伺いました。
――今回の研修の目的と対象者について教えてください。
高橋:今回の研修は、約10カ月間にわたる事業創生研修の冒頭に位置付けた、越境型のワークショップです。研究者や技術者が専門家としての視点だけにとらわれず、実際の現場に足を運び、関係者から一次情報を直接得ることの重要性を体験的に学ぶことを目的としています。SIL-A研修の冒頭にある、このワークショップ終了後は、熱海で体感し学んだことを生かし、日立グループとして取り組むべき新事業を検討します。
参加者は、研究者が約半数を占め、システムエンジニアや技術者も含まれます。職場で選抜されたリーダーやマネジャー層を中心に、チームを取りまとめる役割を担う人たちが参加しました。
――今回の研修では、事業構想だけでなく、現場での調査や仮説検証を重視しています。こうしたプログラムを設計した背景には、どのような人材育成上の課題があったのでしょうか。
高橋:これまでは、自ら現場に足を運び、関係者から直接話を聞くという行動が十分にできていないことが課題でした。事業を検討する際にも、一度決めた方向性を変えることに難しさがありました。
そこで今回の研修では、現場で得た一次情報を基に仮説を検証し、当初の仮説が間違っていれば方向性を柔軟に見直すピボット(方向転換)を重ねることを、当たり前の行動として身に付けてもらいたいと考えました。
日立アカデミーで人材育成部門を担当する高橋さん
今回の研修の特徴は、会議室での議論だけで完結させず、熱海のまちそのものを学びのフィールドとして活用している点です。
研修では、熱海のまちづくりと事業創造について学ぶ講義に加え、中心市街地でのまち歩きや、地域事業者へのインタビュー、フィールドワークなどを実施しました。熱海の中心市街地に加えて網代地区もフィールドとして活用しました。地域の事業者や起業家と接点を持ち、それぞれの現場で話を聞くことで、地域の実情を理解しながら事業の可能性を考える機会を設けています。
こうした経験を通じて、地域課題を単なる調査対象として捉えるのではなく、事業によって解決できる可能性のある課題として考えることを目指しています。
地域プレイヤーとフィールドワークも
――今回の研修先として、なぜ熱海を選んだのでしょうか。熱海という地域に、どのような可能性を感じましたか。
高橋:熱海を選んだ理由の一つは、東京・茨城・神奈川を中心とする社員にとって、首都圏からアクセスしやすいことです。観光地として知名度があり、受講者自身が「行ってみたい」と感じられる場所であることも重視しました。研修への参加意欲を高めるとともに、事前に熱海について調べるきっかけにもなると考えました。
こうした条件に加え、現場での一次情報の収集や仮説検証、ピボットを重視した研修を実現したいと研修提供会社に相談したところ、熱海を舞台とする越境型の研修プログラムを提案いただき、今回の実施につながりました。
――これまで、熱海以外の地域で同様の研修を実施したことはありますか。他の地域と比較した場合、熱海で研修を行うことの良さや特徴をどのように感じていますか。
高橋:他の地域で実施したこともありますが、熱海の良さは、観光客や地域住民、店舗の関係者など、さまざまな人と接点を持ちやすく、現場での調査やテストマーケティングを実施しやすいことです。実際に街を歩き、人の動きや地域の様子を観察しながら、仮説を検証できる環境が整っていると感じています。
夜間も営業している飲食店があるため、夜の街の回遊をテーマにしたサービスの検討や実証にも取り組みやすい点も特徴です。日中だけでなく、時間帯によって異なる街の表情や人の動きを捉えられることも、熱海で研修を行うメリットだと考えています。
地域プレイヤーの話に耳を傾ける参加者
今回のプログラムでは、現場で情報を集めて事業のアイデアを考えるだけでなく、実際に仮説を検証するプロセスまでを研修に組み込んでいます。
5月の研修では、チームごとに地域の事業者や起業家へのインタビュー、観察などを行い、事業の方向性を検討しました。その後、各チームが今後の活動に向けた行動計画を策定し、研修期間終了後も実証実験に向けて活動を続ける構成です。
実証実験にあたっては、地域パートナーとGensen & Coが現地での調整などを支援します。地域の実情を知る事業者と連携することで、受講者が考えた仮説を現場で検証し、事業の可能性を具体的に探ることを目指しています。
7月9日には成果発表会を実施し、各チームが取り組みを発表するとともに、研修を通じた学びを振り返る時間が組まれました。
こうした一連のプロセスで重視されているのは、アイデアを出すことだけではなく、実際に現場へ足を運び、当事者の声を聞き、自分たちの仮説を確かめることです。地域課題を起点に事業を構想する経験を通じて、受講者が事業創造に必要な視点や行動を身に付けることを目指しています。
一方、研修を通じて得られた気付きが、個人の意識やチームの意思決定、実際の事業開発にどのようにつながっていくかは、今後の展開を考える上でも重要なポイントです。今回の取り組みについても、受講者の行動や考え方の変化に加え、チームでの議論や意思決定の質、新規事業の検討に与えた影響などを確認することで、研修の成果をより具体的に捉えることができます。
成果発表会の様子
――成果発表では熱海ならではの印象的な事業アイデアなどはありましたか。
高橋:今回の研修では、4チームそれぞれから、熱海の地域特性を生かした事業アイデアが生まれました。具体的には、飲食店の二次会利用を促す回遊施策、農園での農業体験サービス、親がサテライトワークをする間に子どもが釣りを体験できるサービス、空き家や不動産の活用に関するアイデアなどです。
特に印象的だったのは、飲食店の二次会利用を促す回遊施策です。協力店舗のクーポンを入れたカプセルトイマシンを設置することで、普段なら入るきっかけがない店にも足を運んでもらい、知らない店に入る心理的なハードルを下げる仕組みを考えました。実際に検討だけで終わらせず、実証にも取り組み、アイデアを現場で検証する経験につなげました。
――研修を通じて、受講者の考え方や行動にどのような変化がありましたか。
高橋:発表会後のアンケートでは、日常業務とは異なる活動に取り組んだことで、地域や個人、企業が抱える社会課題に気付く感度が高まったという声がありました。一方で、普段の実務から離れた内容だと感じた参加者も一部にいましたが、総合満足度は5段階評価で4以上の水準となりました。
研修を通じた意識の変化は見られたものの、実際の業務やその後の事業創生にどのような影響を与えるかについては、もう少し時間を置いて確認していきたいと考えています。
――今回の研修を通じて得られた成果や気付きを踏まえ、今後どのような人材育成を目指していきたいと考えていますか。
高橋:今回の研修で得た経験が、教室内での学習とは異なる実体験として参加者の記憶に残り、今後の事業検討や日々の業務に生かされることを期待しています。具体的には、課題に直面したときに、まず現場へ足を運び、相手に自分たちの仮説をぶつけてみることで、一次情報を得ながら考えを深めていく行動につなげてほしいと考えています。
また、熱海での研修を通じて得た納得感を、現場を十分に理解できているかどうかを判断する一つの基準として、今後の業務や事業創生に役立ててもらいたいです。

熱海では現在、企業研修やオフサイトミーティング、ワーケーションなど、観光以外の目的で地域を訪れるビジネス利用の促進に取り組んでいます。
今回の研修は、地域の事業者や起業家と企業人材が接点を持ち、地域課題を起点に新たな事業の可能性を探る事例です。宿泊施設や会議室を利用するだけでなく、地域の人々との対話や現場での体験を研修プログラムに組み込むことで、熱海のまち全体を人材育成の場として活用しています。
企業にとっては、日常の業務環境を離れ、普段とは異なる視点から課題を捉える機会になります。一方、地域にとっても、企業との接点を通じて地域課題への新たな視点や事業の可能性が生まれることが期待されます。
こうした取り組みを継続していくためには、地域の受け入れ事業者や研修プログラムの充実に加え、企業が求める成果に応じて地域資源を組み合わせる仕組みづくりも重要になります。

――今回の経験を踏まえ、企業研修やオフサイトの開催地として、熱海に今後どのようなことを期待しますか。
高橋:平日に企業研修を実施する場合、受講者が業務から離れ、研修後は自分の時間に切り替えられる環境が大切だと考えています。そのため、シングルユース、またはツインルームを1人で利用できる宿泊施設と、近隣に研修室を確保できることが望ましいです。特に20〜30人規模の研修でも、宿泊施設と研修室を一体的に確保できる環境がさらに充実すると、企業にとって利用しやすくなると思います。
一方で、こうした設備面の課題を上回る魅力が熱海にはあると感じています。だからこそ、継続して熱海を研修の場として利用しています。
――ソフト面については、いかがでしょうか。
高橋:海外人材を含む企業グループが増えていることを踏まえ、日本人と海外人材が一緒に働く環境でのリーダーシップや、異文化コミュニケーションを学べる研修プログラムがあるとよいと考えています。
また、企業単位で参加する研修だけでなく、個々のビジネスパーソンが自由に参加できる公開講座のような形式も可能性があると思います。さまざまな企業や立場の人が集まり、学び合える機会が増えることで、熱海での研修の選択肢もさらに広がるのではないでしょうか。

今回の研修では、熱海のまちや地域事業者との接点を通じて、社会課題を捉え、事業の可能性を探り、仮説を検証する一連のプロセスを経験できるように設計されています。
熱海のビジネス利用の可能性は、会議や宿泊の場を提供することだけではありません。地域で活動する人々との対話や、まちの現場に触れる体験を通じて、企業の人材育成や新規事業創出を支えることも、その一つです。
研修を受講した企業が、熱海を企業研修のフィールドとしてどのように評価していくのか、受講企業の視点から見えてくる熱海の価値に注目です。
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