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【熱海・スナックと私 vol.12】 「富士急マリンリゾート」社長・堀内明広さん(前編:みやした)

 特集「熱海・スナックと私」では、市内の経営者にお薦めのスナックを紹介してもらいながら、これまでの人生やこれからの経営ビジョンなどを伺います。聞き手は、熱海経済新聞副編集長でボイストレーナー「たーなー先生」としても活動する田中直人です。

 これまで、江戸時代から160年以上続く老舗干物店「釜鶴」5代目の二見一輝瑠(ひかる)さん、1806年創業の老舗温泉宿「古屋旅館」17代目の内田宗一郎さん、「宇田水産」社長の宇田勝さんに話を伺いました。今回は、熱海~初島航路の運営やホテル「熱海シーサイドスパ&リゾート」を経営する「富士急マリンリゾート」社長の堀内明広さんに初島でインタビューしました。3回に分けて、堀内さんのこれまでの取り組みや思いについてお伝えします。

これまでの記事

特集【熱海・スナックと私 vol.1~11】

――今回は熱海の離島、初島で話を伺います。1軒目の初島食堂街にある「みやした」について、魅力などを教えてください。

堀内 初島区長の宮下さんが経営する磯料理の店です。毎年初島で開催しているグルメイベント「初島漁師の丼合戦」でもお世話になっています。初島で取れる地魚やアシタバなどを使った新鮮な料理が楽しめます。

「みやした」を切り盛りする宮下さん夫婦

――まずは堀内さんの生い立ちついて聞かせてください。

堀内 山梨県の河口湖で生まれ育ち、高校卒業まで地元で過ごしました。子どもの頃から身近な存在だったのが富士急行で、電車やバスを利用したり、富士急ハイランドへ遊びに行ったりするなど、富士急グループに親しみながら育ちました。

その後、大学進学を機に東京へ出ましたが、都会での生活になかなかなじめず、地元・山梨へ戻ることを決意しました。当時は山梨での就職先の選択肢が限られており、長男は地元企業勤務、次男は役場勤務とそれぞれ進路を決めていました。三男だった私は自分の進む道を考える中で、幼い頃から親しみのあった富士急行への入社を選びました。

河口湖や富士吉田周辺には「堀内」姓の人が多く、地域では珍しくない名字です。富士急グループ内にも堀内姓の社員が多かったことから、区別しやすいように姓ではなく名前で呼ばれることが多く、私も社内では「明広」と下の名前で呼ばれていました。

生い立ちを語る堀内さん(左)

――入社後について教えてください。

堀内 1年間の教育配置期間では、富士急ハイランドやバス事業所、ホテルなど、グループ内のさまざまな事業を回りながら業務を学びました。本配属となったのは当時「日本ランド遊園」が運営していた、富士山二合目にあるレジャー施設でした。施設内には遊園地やゴルフ場、スキー場があり、私はゴルフ・スキー部門を担当し、約3年間、現場で運営に携わりました。

その後、新規事業の立ち上げに参加します。現場業務を社員中心で運営する体制から、アルバイトスタッフを活用する体制へと移行しつつある中で、アルバイトスタッフの採用や育成、マネジメントのノウハウを習得する目的で、沼津市の学園通りに開設した「TSUTAYA」と「びっくりドンキー」のフランチャイズ事業に携わることになりました。

TSUTAYAで経験を積んだ堀内さんとスタッフ

この事業は、もともとグループが保有していた遊休地を活用し、旧車庫跡地に店舗を建設したものです。当時は「TSUTAYA」の本部「カルチュア・コンビニエンス・クラブ」が急成長を遂げていた時期で、「TSUTAYA BOOKS」の店舗数もまだ全国で80店舗ほどでした。本部主催の会議にも参加する機会があり、小売業やアルバイトスタッフの育成・運営手法など多くのことを学びました。

店舗は沼津市内でも交通量の多いエリアに立地しており、周辺地域から多くの利用客が車で訪れました。レンタル事業は全国でもトップクラスの実績を上げるほど好調で、駐車場が満車になることもしばしばありました。この事業には数年間携わり、その経験を通じて接客業や店舗運営、人材マネジメントなどの知識を深めました。そして沼津で勤務していた時期に、後のキャリアにつながる「海の家」事業との出合いが訪れます。

「みやした」で楽しめる地魚の刺し身

――「海の家」とはどのような事業でしょうか?

堀内 TSUTAYA事業に携わっていた頃の2001(平成13)年、熱海にあった旧「熱海シーサイドリゾートホテル」への人事異動がありました。当時、お宮の松前に位置していたこのホテルは、かつて部屋食や大宴会場を備えた高級旅館として営業していましたが、既に営業を休止していました。周辺でも複数の大型ホテルが相次いで営業を休止しており、夜になると海岸沿い一帯の明かりが消える状況になっていました。

そうした中、本社は「地域のためにも、夏だけでも明かりをともしたい」と考え、休館中のホテルを活用した新たな取り組みを決断。その役割を任されたのが、アルバイトスタッフのマネジメントや店舗運営の経験を積んでいた私でした。

目の前が熱海サンビーチという立地を生かし、「ホテルを丸ごと海の家に」というプロジェクトを先輩社員と2人でスタート。10階建てのホテルは閉館当時の状態のまま残されていたため、利用できるエリアを限定しながら営業体制を整備しました。大浴場を活用した日帰り温泉、300畳の大広間を休憩所として開放し、一部の客室は貸し切りの個室として利用できるようにしました。また、1階ラウンジを食堂に改装し、屋外には特設売店も設けました。

「海の家」事業に携わった堀内さん

私もホテルの空き部屋に住み込みながら運営に当たり、ほとんど施設を離れられない日々を送りました。周辺にコンビニも少なかったため、営業は予想以上の反響を呼びました。焼きそばやかき氷といったシンプルなメニューが中心でしたが、繁忙日には売り上げが1日100万円を超えることもありました。地域の高校生たちもアルバイトとして多数参加し、施設を支えました。当時アルバイトで来てくれていた人たちとは、今でも交流があります。「大型版の海の家」ともいえるこの取り組みは、その後の熱海との深い関わりの原点になりました。

当時の「熱海シーサイドリゾートホテル」にて

――その頃の熱海の印象ついて教えてください。

堀内 当時の熱海は、団体旅行の減少やホテルの休業が相次ぎ、夜になると街全体が静かで寂しい雰囲気に包まれていました。一方で昼間は海水浴客でにぎわい、その落差がとても印象的でした。

そんな中で強く心に残ったのが、「こがし祭り」や「街道祭り」の迫力でした。祭りが始まると街は一変し、多くの人であふれ、熱気と活気に包まれました。海の家を運営しながら来場者と一緒に踊りに参加することもあり、熱海は本当にパワーのある街だと感じました。街には厳しい状況もありましたが、その一方で人を引きつける大きなエネルギーとポテンシャルを持っていることを実感しました。

エネルギーを感じたという熱海の祭り

――それが1回目の熱海での仕事ということですが、次はどういうタイミングで熱海と関わったのでしょうか?

堀内 その後、富士急行の宣伝部に異動し、東京で勤務していました。その頃、休館していた旧「熱海シーサイドリゾートホテル」をホテルとして再生する計画が持ち上がります。

「海の家」として一時的な営業ではなく、営業を再開し、まずは施設に明かりをともし続けることが目的でした。ちょうどその頃、「B&B(ベッド・アンド・ブレックファースト)」という宿泊スタイルが注目を集めていました。しかしホテルの客室は全80室が和室で、ベッドではなく布団を使う造りでした。そこで上司から「B&Bをもじった新しいコンセプトを考えよう」と言われ、畳の「T」を使った「T&B(Tatami&Breakfast)」という造語を考案しました。

必要以上のサービスは行わないが、その分リーズナブルに泊まれるという意味で「何のお構いもしませんで!」をコンセプトに打ち出し、自家源泉の温泉やサンビーチ目の前という立地の良さを最大の魅力として訴求。宿泊プランは1泊朝食付きで、当時の料金は1人5,500円ほどでした。これがメディアに多く紹介され、人気となりました。

海の家の運営やホテル再生に携わった経験から、熱海に強い思い入れを抱くようになりました。宣伝部をはじめさまざまな部署を経験しましたが、熱海での仕事は特別な存在でした。「熱海のことなら自分がやりたい」と自然に思うようになり、熱海は自身のキャリアの中でも特別な場所になっていきました。

――その後について教えてください。

堀内 2008(平成20)年、富士急マリンリゾートに着任しました。当時のホテルは施設の老朽化が進んでいたことから、営業を続けながら段階的なリニューアルを進めることになりました。

約5年をかけてフロアごとに改装を行い、アジアンテイストの客室やファミリー向けの和洋室フロア、ゆったり過ごせる洋室フロアなどを整備。さらに最上階には、シニア層向けのラグジュアリーフロアも設けました。こうした取り組みを重ねながら、ホテルを現在の姿へと生まれ変わらせていきました。

――地域とのつながりについてはいかがでしょうか。

堀内 2008(平成20)年に熱海へ戻った頃、サンビーチ周辺ではホテルの減少などにより、地域行事の担い手不足が課題となっていました。そうした中、こがし祭りの当番町への参加を依頼され、「地域の一員として認めてもらえるなら」と協力するようになりました。

ホテルのある東町での地域活動を通じて地元の旅館・ホテル関係者との交流が深まり、旅館組合への参加を勧められました。会社の了承を得て富士急マリンリゾートの取締役となり、組合理事として地域活動にも関わらせてもらえるようになりました。

当初はホテル同士を競合関係だと思っていましたが、実際には温かく迎え入れられ、「みんなで熱海を盛り上げよう」という雰囲気が強かったのが印象的です。団体旅行の減少や東日本大震災の影響で厳しい時期でしたが、地域が一丸となって観光振興に取り組んでおり、とても勉強になり楽しく仕事をさせてもらいました。

――ここまで、ありがとうございました。では続きは次の店で伺いましょう。次回、中編では堀内さんの現在の話を伺います。

堀内さんの話を伺った店「みやした」について

開業 1996(平成8)年

店主 宮下泉さん

営業時間 11時15分~15時ごろ

住所 熱海市初島217-7

電話 0557-67-1466

「みやした」では、漁師でもある店主が初島近海で捕った新鮮な魚介を味わえます。初島港から徒歩約2分の食堂街にあり、その日の朝に水揚げされた魚介を使った磯料理を提供しています。名物は「のり丼」で、磯の香り豊かな岩のりとアシタバを使った島ならではの一品として高い人気を集めています。イカ刺しや海鮮丼、刺し身定食なども評判で、「初島らしい海の幸を味わえる店」としてリピーターも多い食堂です。

初島食堂街の様子

「富士急マリンリゾート」過去の記事

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聞き手 田中直人

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